趣意書

  戦国一の知将・明智光秀は、日本の歴史上最大の下剋上といわれる「本能寺の変」で織田信長を討ったことであまりに有名ですが、自らが治めた亀山城(亀岡市)、福知山城(福知山市)では、治水事業や城下の地税免除等の良政を行い、領民から慕われた名君であり、生涯側室を取ることのなかった愛妻家でもありました。
光秀の娘・玉(後のガラシャ)は、当代一の教養人であった、勝龍寺城(長岡京市)城主・細川藤孝(幽斎)の長子・忠興のもとに、天正6年(1578年)、16歳の時に輿入れし、幸せな新婚時代を送りました。
  その後、細川父子と玉は、宮津城(宮津市)に入りますが、天正10年(1582年)、本能寺の変が起こります。
信長を討った光秀は、山崎の合戦(大山崎町)で、羽柴秀吉に敗れ、落ちのびる途中、命を落とします。一夜にして逆臣の娘となった玉は、二人の子供から引き離され、味土野(京丹後市)に幽閉されます。幽閉を解かれて、宮津に戻り、大阪玉造の細川邸で、キリスト教に改宗したガラシャは、石田三成に人質として登城するよう求められても断固拒否し、慶長5年(1600年)、家来に命じて、自らの命を絶ちました。ガラシャの死は「義死」といわれ、その影響の大きさに驚いた三成は、諸大名の妻を人質にとるのを中止したといわれています。
  その後、細川幽斎の居城・田辺城(舞鶴市)に、西軍15,000の兵が押し寄せますが、細川幽斎はわずか500の兵で、約2ヶ月間籠城を続け、西軍15,000を釘づけにし、関ヶ原の戦いを有利に導きました。
このように、細川ガラシャとその父・明智光秀、さらに細川幽斎、忠興親子は、戦国の世において、自らの信念を貫いて、激動の人生を生き、その後の日本の歴史に大きな影響を与えた、父と娘、父と息子であったといえるでしょう。
  この、波瀾に満ちた戦国時代を生きた親子の絆と生きざまをテーマとしたNHK大河ドラマは、単に戦国の世を描いたドラマに止まることなく、現代にも通じる家族の絆を、特に父と娘の絆を、深く視聴者に考えさせる意義深い作品になるものと考えます。
  同時にまた、ガラシャ、光秀、幽斎、そして忠興ゆかりの地は、京都府を南北に縦断するように所在し、いずれも観光客を惹きつける、魅力溢れる市町であります。これらの市町を舞台とした大河ドラマの実現をめざすことは、魅力に満ちた市町の自然と歴史文化を全国に発信し、ゆかりの地域、さらには京都府全体の観光振興と地域経済の活性化に、大いに寄与するものであると考えるところです。
  従いまして、ここに関係者が一堂に会し、誘致活動、広報活動、観光振興及び地域振興等の様々な施策に取り組み、大河ドラマ実現に向けて積極的な展開を図る推進組織として、「NHK大河ドラマ誘致推進協議会」を設立するものであります。

 平成23年4月27日

会則

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