ゆかりの地

御霊神社 【福知山市】
御霊神社

光秀の霊は、もともと常照寺の境内に祀られていました。この地には元は稲荷神社がありました。光秀公の良政に感謝した民によって、宝永年間にこの地に移され、御霊神社に合祀されるようになったといわれています。

 

 明智藪 【福知山市】
明智藪古くから海運の要所であった由良川の氾濫防止と海運業の発展のために明智光秀が作った竹藪。

 

 長福寺(向田(むこだ)観音堂) 【綾部市】
綾部市 向田観音堂 長福寺の観音堂に祀られる観音像は「向田の観音さん」とよばれ地域で親しまれています。丹波平定の際、明智光秀の家来の岡部山城守が、別所を討伐した戦賞として観音像を与えられ持ち帰ろうとしたところ、長福寺で観音像が大地に根が生えたように動かなくなりました。霊験を恐れた山城守は自身もこの地に土着し、観音像を祀ったと伝えられています。

 

 智恩寺 【宮津市】
智恩寺

戦いにつぐ戦いの束の間、忠興の招きで、光秀や名の知れた茶人・歌人が宮津を訪れた際に立ち寄って、ひと時を楽しんだとされています。

 

盛林寺 【宮津市】
盛林寺

天正5年に創建。

夭逝した幽斎の子の肖像や、ゆかりの資料を今に伝えています。

また、境内裏にはガラシャの元に届けられ、供養されたとされる光秀の首塚も存在しています。

 

「祈り」〜細川玉子(後のガラシャ夫人)像〜 【宮津市】
ガラシャ像

細川忠興公・ガラシャ夫人生誕450年を記念して平成25年11月に建立されました。彫刻制作は山本眞輔氏(日本芸術院会員)、銘板揮毫は細川家18代当主細川護煕氏(元首相)。波乱万丈の生涯の中で、自らの信念を貫いた細川玉子(後のガラシャ)が「祈り」をテーマに表現されています。

 

谷性寺 【亀岡市】
谷性寺光秀の首塚が祀られています。別名「光秀寺」とも呼ばれています。

光秀はこの不動明王を厚く尊信し、本能寺の変の時「一殺多生の剣を授け給え」と誓願し、本懐を遂げたといわれています。

そして、自らの首をこの寺の不動明王のそばに葬るように近臣に託したといわれています。

 

ガラシャ碑 【京丹後市】
ガラシャ碑本能寺の変の後、忠興はガラシャと離縁せず、この地に幽閉しました。谷を隔てて警備の者が住んだ男城もありました。

『身をかくす里は吉野の奥ながら
   花なき峰に呼子鳥啼く』 玉子

 

 山崎合戦の地 【大山崎町】
yamazakikassen.jpg本能寺の変の後、秀吉は「中国大返し」と呼ばれる速さで、畿内に引き返しました。その報を聞いて光秀は、急いで勝竜寺を整備し、恵解山古墳の辺りに陣を構えますが、秀吉は天王山の松に自軍の旗を立て、自軍を鼓舞し、この戦いに勝利します。 

 

 宝積寺 【大山崎町】
大山崎町宝積寺 山崎の合戦の後に、秀吉はしばらくこの地に滞在していました。秀吉の元に参じた細川親子が訪れたのが、城の一部とされていたこの寺だったとされています。

 

 熊川宿の町並み 【若狭町】
kumagawa.jpg若狭小浜から京への若狭街道、通称「鯖街道」の中継拠点として中世末より発展した熊川宿は、平成8年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。 幽斎は熊川で連歌の会を催しており、「神無月 雪をみやこの しぐれかな」などの句が『玄(げん)旨公御連哥(しこうごれんが)』に収められています。

 

 沼田氏供養塔 【若狭町】
numatashi.png 熊川宿の得法寺には、沼田氏の供養塔と伝えられる石塔がまつられており、沼田光兼(みつかね)の娘が細川幽斎の唯一の妻、麝香(じゃこう)であります。
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